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房総坐禅道場
房総支部 房総坐禅道場

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房総ブログ - 静坐会・行事カテゴリのエントリ

禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを
私(義存)の責任で要約して掲載しています。
 
話題提供のあと、いろいろな質問が出ました。
質疑応答の様子をお伝えします。
 
Q:
先生は、ほんとに夫婦喧嘩をしないんですか。
うちは、ののしり合いなってしまうんですが。

A:
しませんよ。
私は合理主義者ですから、やっても意味のないことはしません。
そんなことをしても後味が悪くなるだけでしょ。
 
Q:
息を数えようと思っても、あきてきてしまい、
前に坐っている人の姿勢がいいなあとか思ってしまうのですが。

A:
それは、雑念です。目もキョロキョロさせないで、
自分の前方1メートルくらいのところに視線を落としてください。
 
Q:
坐禅中にいろいろなことが浮かんできます。
いっそのこと、阿弥陀様とかそういう仏様のことを思い浮かべたほうが、集中できそうなのですが。

A:
それは違います。
どんな有り難そうなものでも、息を数えること以外のことが浮かんできたら、それは雑念です。
例えば、仕事のことで「ああ、こういうアイデアがあるんだ」。
とついついメモしたくなるようなこともありますが、
いいことでもそれは雑念です。
いろいろなことを、切り捨てて、自分自身を見つけていくのが禅です。                
 
Q:
目をつぶってしまうほうが集中できるような気がするのですが。

A:
目は開けておいてください。
例えば、1分や2分なら、
そのほうが集中できるような気になるかもしれませんが、
目をつぶったままだと必ず眠くなります。
また経験上からも、そのほうが連想したり妄想したりしやすくなります。
少し付け加えると、
先ほど「莫妄想・まくもうぞう」ということを言いましたが、
悩みや苦しみは、すべてこの妄想することから始まります。
例えば、もう過ぎ去ってしまった過去のことを悔やんだり、
未だ来ていない未来のことについて妄想して不安になったり。
禅はいつも「今 ここ」を大切にします。
「輪廻・りんね」という言葉がありますが、
あれは、人間が生まれ変わるということではなく、
心が妄想によってぐるぐる回ってしまうことを指しているわけです。
 
続く
 
義存 合掌
 
「禅と茶の集い」
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
左上の房総道場と静坐会・茶道部をクリックして案内をご覧ください。
禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを
私(義存)の責任で要約して掲載しています。
 
 
最後は、禅と職業について話します。
家庭は禅者として、なんとかなったかもしれませんが、
職業人としては、少なくとも仏道修行者としては、失格かもしれません。
本来は、生活即修行、仕事即修行であり、
どんな相手にでも合掌して応対し人間形成の場とすべきであったのですが、
これはなかなか至難の業で、ほとんどできなかったような感じで、
今でも忸怩たる思いです。
会社での仕事は、経済行為をしているというのがまず優先して、どんな不利益も甘んじて受け、
見過ごすことは、最後までできませんでした。
どんな無理難題も、人間形成の場として、自己の精進の糧として、
黙々と合掌して対応するのが本来の修行者でしょうが、それは至難の業です。
ほとんどできなかったようです。
生産性の高い仕事をして、成果を優先せざるを得なかったのが正直な話です。
 
しかし、禅をやっていたおかげか、
どんな仕事も、どんな職場も、どんな上司のもとでも、どんな部下がいても、
仕事に支障が出ることはありませんでした。
ややこしい上司がいて、あの職場は難しいというと、
私がその職場にやられるケースがありました。
これは、禅のおかげなのでしょうか?
本人は結構大変なわけですが、誰かがやらなければならないわけで、
精神的に強い人が、そういう役をやるのが、まず無難なのだと思って
引き受けました。
禅は、ものにとらわれるのをよしとしません。
禅をやっていたおかげで、ものにとらわれない訓練が人一倍できていますから、
仕事上でも、これは非常に役立ちました。
 
会社生活では、たとえどんな良い提案をしても、相手はお客様ですから、
相手がNOなら、あきらめて違う提案をします。
とらわれていてももどうしようもありません。
また、どんな逆境でも、必ず突破口はあると思い、
すべてクリアにして、一から出直すのも得意でした。
窮すれば通ずで、新しいアイデアも生まれます。
出口が見つかるまでは大変ですが、
それは坐禅の修行で、もう十分経験済みのことでした。
 
禅には莫妄想(まくもうぞう)と言う言葉があります。
これは、妄想することなかれという意味ですが、
実生活では、分かっていても、それに引きずられる人間の弱さ、
修行の足りなさを痛感させられる場合が多々ありました。
在家のまま、本当の禅ができるようになるのは、永遠のテーマかもしれません。
しかし、禅には、それをやる価値が十分にあると思います。
また今後とも、この禅を残していく必要性が本当にあると思います。
 
最後になりますが、禅を人間形成の道として、
私も、まだまだこれからも修行に励んでいきたいと思います。
そして、是非、もっとたくさんの人に禅に接してもらい、
禅による人間形成の道に進んでいただきたいと思います。
 
どんなに科学が発達し、便利な世の中になっても、
自分の心の問題は、自分で解決しなければならず、
そして、その心の修行は、人間の良心の問題として、
その高みがある以上、少しでもそれに向かっていく努力をすることが、
私たち人類に課せられた尊い課題であると思います。
 
禅の修行をして、人間形成の道に進むのは、早いほうが良いには良いのですが、
いくつになっても、思い立ったら実行すれば、まだ間に合います。
インドの第10代の仏祖になられた脇尊者という方は、
80歳になってから、仏の弟子になって修行をしたそうです。
昔の80歳ですから、今では100歳くらいになるかもしれません。
昼は仏典を読み、夜は坐禅をして、脇をつけて寝なかったそうです。
そのため、脇尊者という名前になったそうです。
 
この方のことを思うと、まだまだ、みんな若いのです。
新しい時代を切り開くべく、まだまだ頑張れるのだと思います。
 
2011年の東日本大震災の後の、新しい文明のあり方も、
自分たちで切り開き、人類が22世紀を、無事に迎えられるように、
少しでも力になれればと思い、これからも坐禅を続けていきたいと思います。
皆様にも、これからの人生を自分の力で切り開いていただきたいと思います。
そして、この「禅と茶の集い」が少しでもお役に立てれば幸いだと思います。
長時間のおつきあい、ありがとうございました。
これで、話題提供を終わります。
 
 
続く
 
義存 合掌
 
「禅と茶の集い」
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禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを
私(義存)の責任で要約して掲載しています。
 
 
次に、禅と家庭についてお話しさせていただきます。
今回の体験セミナーでは女性の方が多いので、
まず家庭の方からさせていただきます。
ただし、男性から見た視点ですので、あまり参考にならないかもしれませんが。
 
結婚は29歳の手前でした。妻は、同じ年でした。
妻は結婚する3年前くらいから、坐禅をしていたと思います。
結婚した次の年に長男が生まれ、その後、年子で次男が、
2年おいて三男が生まれました。
妻は2011年の震災のときまで働きましたが、
その間、30年くらい、子育てをしながら、共働きの生活でした。
私の場合は、同じように坐禅をしている仲間であるという点は
かなりの利点でした。
その点を考慮しないと、私の話は、
余りにもうまい話になりすぎると思われるかもしれません。
 
さて、私が結婚する時に、
このテキストの、禅と家庭(2)を書いておられる内田ふきさんに
「夫婦は、別人格ですよ、くれぐれもそのことを忘れないように」
と言われました。
それ以降、「夫婦は、別人格ですよ」を忠実に守ってきました。
禅では、物我一如とか、自他不二といいます。
自他不二も突き詰めれば、自分も尊いし、他も同じように尊いわけで、
夫婦も、互いが同じように尊いのです。
それでいて、別人格であるわけですが、
当時、どこまで理解していたか、自分でもよく分かりません。
 
私個人としては、夫婦喧嘩をしたことがないと思っています。
私はある面、徹底した合理主義者です。家庭不和だと損なわけです。
しかし、そうは言っても、意見の合わないことはあるわけですが。
私は、夫婦喧嘩をしない秘訣として、
これは妻と意見が合わず、折り合わない問題だと思うことは、
一切話題にしないことに決めていました。
一緒にいれば、この問題は意見が合わないということは分かるので、
それを話題にして気分を悪くしても、何の得にもならないと割り切りました。
 
妻の仕事の問題や、子供の教育など、もう意見が合わないものは、
すべて話題にしませんでした。
子供の教育でも、ほとんど子供と妻の相談に任せました。
もし、万が一失敗しても、やり直せば良いだろうと、
自分の経験で分かっていたので、進路にしても、特に口出しはしませんでした。
 
夫婦は別人格ですが、親子もまた別人格です。
子供を自分の思うようにしようなどというのは、どだい無理な話で、
20歳過ぎれば、すべて自己責任でやってもらうしかないので、
はじめからそのつもりの方が、話は簡単だと思っています。
子離れ、親離れは、今のところ、うまくいっているようです。
しかし、そういう子育てをしたため、父親の権威などは、全くありません。
昔の家父長制の時代でなくて良かったと思っています。
いずれ、子に従う年になるのでしょうから、
いまからその準備をしておいた方が良いのだろうと思っています。
 
禅で得たものが、家庭生活でどのように役に立っているか
と言われると、よく分かりませんが、
少なくとも、自他不二で、
自分以外の他者(妻や子供)を十分、尊重してきたのだと思っています。
でも、それは自分でそう思っているだけかもしれません。
共働きであったので、妻あっての私であり、
我が家庭であったのかもしれません。
あまり自慢できる話ではないような気がします。
 
続く
 
義存 合掌
 
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禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを
私(義存)の責任で要約して掲載しています。
 
 
ここで、先週からから引き継いだ話は終わりにして、
私の話題提供に入ります。
 
居士禅(在家禅)を続けていくための工夫について、話させていただきます。
禅の修行を社会人のまま続けて行くためには、
その前提条件として、仕事と家庭とをどう折り合いをつけるかが大事です。
私は、禅と仕事と家庭を常に同じウエイトで、
鼎の3本足の如く、どれも均等に大事にして日々を過ごしました。
 
・仕事をおろそかにしない
・家庭をおろそかにしない
・禅をおろそかにしない
 
当然ですが、どれをおろそかにしても、
社会人のまま、禅を続けていくことはできません。
仕事と家庭の両立も難しいと言われる現代の社会の中で、
更にそれに禅が加わるわけです。
この3つのバランスをどうとるか。
誤解を恐れず、簡単に言えば、
 
・仕事は、能率良く、生産性の高い仕事をして、成果を出すこと
・家庭は、家庭の平和を第一優先として、家事・育児も最低限のことはやる
・禅は、毎朝坐禅をし、年3回の摂心会に参加し例会にも参加する
 
ということです。
一時的には、どれかの優先順位を上げて対応する場合はありますが、
全体ではバランスよくやらないと、全部がうまくいかなくなります。
仕事がうまくいかなくて、坐禅や家庭がうまくいくことなどありませんし、
家庭が不和では、仕事も禅にも支障が生じます。
専業主婦の方の場合は、仕事を家事や育児と考えても同じだと思います。
なにせ、この3つをうまく機能させていかなければ、
居士禅・在家禅はありません。
しかしいざやるとなると、それなりの覚悟と努力と精進が必要です。
 
続く
 
義存 合掌
 
「禅と茶の集い」
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禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを
私(義存)の責任で要約して掲載しています。
 
前回の担当者から、坐禅の仕方について補足してほしいと言われたので、
簡単に触れたいと思います。
家に帰ってから、もう一度テキストをよく読んでください。
 
まず、坐禅が終わった後の「出定・しつじょう」です。テキスト43ページ。
坐禅の時間が終わったときは、
坐禅を始めたときとは逆に、徐々に身体を左右に揺らしていき、
さらに足を解いて坐禅をおわらせます。
粗暴に立ってはいけないと古来言われています。
はじめのうちは足がしびれていて、急に立てないわけですが、
足がしびれなくなっても、ゆっくり動作するようにしましょう。
坐禅で得られた禅定力を坐禅後も続けていけるようにするためです。
 
次に「経行」です。お経の経に、行くと書いて、「きんひん」と読みます。
手を胸の前に組んで(これを又手当胸・さしゅとうきょうと言います)、
このようにして、坐禅と同じように背筋を伸ばして、
立って、一歩一歩ゆっくり歩きます。目は2m前方を見てください。
坐禅を静中の工夫と言うのに対して、これは動きながら行うので、
動中の工夫と言います。
 
私達に坐禅の指導をしてくださった
磨甎庵白田劫石老師は、散歩に行くときに、
経行に行くと言って出かけられました。
ただの散歩ではもったいないので、今後、ウォーキングなどをするときは、
このテキストを読んで、経行をやってみてください。
実践し、自分でものにしないと、修行は意味がありません。
 
次は、「三昧」についてお話します。 テキスト45ページ
まず、坐禅の仕方で、調身、調息の後に、数息観の説明があり、
静坐中は、息を数えることになりきるとの説明を受けていると思います。
息を数える間に雑念が出たら、1に戻るようにと言われたかと思いますが、
人間は、考える葦であると言われる如く、常に考える癖がついています。
しかし、本来、数息になりきっていくようにと言われているわけですから、
ここで浮かんでくるものはすべて雑念です。
一生懸命息を数えるぞと思っても、3つ数えたら雑念が浮いてきます。
それが人間です。へこたれずに続けましょう。
 
数息観の評点のすすめを提唱している葆光庵丸川春潭老師は、
雑念を全く起こさないで1から10まで数えられたら(1分から1分半)、
数息観の評点で100点満点中70点と言っておられます。
このことからも、その難しさが理解できると思います。
まず、70点を目標に頑張ってみましょう。
 
次は、「作務(さむ)」についてです。 テキスト53ページ
動中の工夫の一つとして経行を説明しましたが、
もう一つ動中の工夫として作務があります。
様々な生活の営みの動作の中において、工夫を続けて、
三昧力を養う修行です。
道場での摂心会などで作務が行われますが、
それを通して修練し、最終的には、家事も仕事も
作務として行えるようになれば、修行の効果は絶大です。
家事の中で作務ができ、動中の工夫ができれば、
日常生活ががらっと変わると思います。
家事は、人に煩わされないので、
自分一人、工夫を続けるには大変よい機会だと思います。
道元禅師は、僧堂での食事作りの注意として、
『典座教訓・てんぞきょうくん』という書を書いておられます。
食事作りだけでなく、修行一般の参考書としても大変有用です。
是非、お読みになることをおすすめいたします。
 
続く
 
義存 合掌
 
 「禅と茶の集い」
問い合わせ先s.s.gison@nifty.com
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今日から、禅体験セミナーで、
禅のある人生 ―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
と題して久保田鉄漢さんにお話しいただいたものを
私(義存)の責任で要約して掲載します。
 
今回の禅体験セミナーのテキストである『坐禅のすすめ』では、
禅と家庭生活、禅と職業という項目がありますが、
これは後で読んでいただくとして、実際の生活に即したことをお話します。
 
簡単に自己紹介をさせていただきます。
昭和24年8月生まれですので、現在64歳です。
生まれは群馬県で、18歳で千葉に出てきて、
それ以来35年以上は、千葉に住んでおります。
60歳で定年し、現在は、四街道坐禅塾で、坐禅中心の生活をしています。
 
禅には、無功徳という大変有名な言葉がありますが、それはしばらく忘れて、
-仕事や家庭生活が禅でどう変わるか- という副題にそって、
禅によって得られた功徳なり、効果のことについて話します。
 
まず、禅との出会いですが、
中学校3年生の冬休み前に、ある先生から
「冬休みに、坐禅会を中学校の柔道場で朝7時からやるので、
やる気のあるものは、座布団を持って集まるように」
と言われ、興味本位で参加しました。
1学年200名くらいの学校でしたが、20名くらい集まったと思います。
なんとか年末の1週間、毎日、坐禅に通いました。
 
中学校を卒業して、高校生になりましたが、先生が呼びかけて、月2回、日曜日の朝に、公民館で、坐禅会をやり2年間続きました。
私が今も坐禅中心の生活をしているのも先生の影響だと思っています。
 
2度目の禅との出会いは、それから5年後でした。
 
18歳で、工業高校を卒業し、千葉県の市原市にある化学会社に就職し
働き始めました。
その後、仕事をしながら受験勉強をして、4年後に千葉大学に入学しました。
大学には、勉強するために入ったわけですが、
4年間の仕事をした経験で、勉強ができても、精神的に弱いと、
自分で自分に負けてしまい、最終的に良い仕事はできない
という感じがしていました。
 
精神面を強化するために、以前やったことがあった禅を
もう一度やろうと思っていたところ、
たまたま、入学案内に、千葉大学には、禅の会があるのを知り
入学してすぐに禅の会の門をたたきました。
それから毎日、朝7時45分から45分の坐禅をし、
そのあと授業に出ました。
 
そして、学生のための坐禅の塾である四街道市大日の総北五葉塾
(現四街道坐禅塾)に、48年4月に入塾しました。
その後、中途半端に坐禅をしていては、何も得られないという危機感もあって、それこそ、清水の舞台から飛び降りるつもりで、
48年7月に、磨甎庵白田劫石老師に入門しました。
 
昭和51年3月に大学を卒業し、同時に総北五葉塾も卒業して、
山口県の岩国市にある会社に入社しました。
 
1年目から、会社で休みを取り、千葉で開催される摂心会に参加していました。
53年7月に、内田智鏡、慧純ご夫妻の仲人で、見合い結婚をし、
それから、60歳で定年を迎えるまで働き今に到っています。
 
本人としては、仕事と家庭と禅をバランスよく行ってきたつもりです。
そんな訳で、今回の話題である「禅のある人生」という
話題提供者になったのだと思います。
 
続く
 
義存 合掌
 
 「禅と茶の集い」
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梅雨入りしたばかりというのに、前夜は激しい雷雨でした。
 
本日(8日)の日曜静坐会の参加者は17名でした。
 
雨の上がった玄関まわりは、緑一色です。
 
 
 
トマトは、小川農園(会員)の朝取り。
有機栽培で、口に頬張ると、甘さが広がります。
今、次々となって、大わらわだそうです。
 
鉄心さんの手づくり味噌は、仕込んでからちょうど半年
なめてみると甘い。
『江戸甘味噌』だそうです。
 
仕込みには参加していませんでしたが、
分けていただきました。
 
少し写真を撮って、から帰ろうとすると、
鉄心さんがタケノコ(真竹)をくれました。
道の下の竹藪にはえていたそうです。
 
家に持って帰ってから、圧力釜で茹でて、
タケノコご飯にて、おいしくいただきました。
 
合掌
惟然 拝
関東地方も入梅し、外はかなりの雨が降っていました。
先週来られた方が、続けてきてくれるか少し心配でしたが、
ほとんどの方が続けて出席してくださいました。
 
禅体験セミナーは、今日(6月6日)で2日目です。
 
今日のテーマは、
禅のある人生。―仕事や家庭生活が禅でどう変わるかー 
です。
 
このテーマについては、また明日から少しずつ紹介します。
人生経験も禅の経験も豊かな講師による話だったので、
皆さん真剣に耳を傾けてくれました。
 
今日の坐禅(座禅)の様子です。
 
 
1回や2回で正しい坐禅の姿勢を身につけるのは難しいと思います。
助警(じょけい・姿勢を正す係)が一人ひとりの姿勢をチェックし、
正しい姿勢をとれるように親切に指導します。
いわゆる坐禅の足が組めない方には、
日本坐やイスを使っての坐禅をすすめています、
背筋を伸ばしてあごを引き
正しい呼吸をすることのほうが大切です。
 
前回と比べて皆さん少しずつよくなってきました。
中には、とても2回目とは思えないような
素晴らしい姿勢をとることができる人もいて
こちらがびっくりするくらいでした。
 
来週まで、一日に5分でも10分でもいいので
家で坐禅をしてみてください。
 
念のため、来週の予定を紹介しておきます。
来週6月13日(金)のテーマは、
禅と健康
―心身の健康に基づく生き生きとした人生の送り方―
です。
現役の医師よる話なので、どうぞお楽しみに。
 
続く
 
義存 合掌
 
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禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上げた話題についての続きです。
 
坐禅の後、いくつか質問がありましたので、紹介します。
 
Q: 私は、夜よく眠れないのでここに参加させてもらっているのですが、それでもいいのですか。
A: かまいません。来週は「仕事や家庭と禅」、次の週は現役の医師が「健康と禅」に関する話をしますので、また質問してください。
 
Q: すべてのものの中に、人間と同じような命が宿っているという話がありましたが、本当ですか。 
A: 坐禅をして、自分の本心本性を悟るという体験をすると、いわば宇宙の命が、すべてのものの中にあるということを直感できます。
   たとえば、お米一粒をとっても粗末に扱うことはできなくなりますよ。
 
Q: 小さい虫が体にとまってきて、気持ちが悪いときたたいて殺してもいいのですか。
A: う~ん。難しい質問ですね。
まず、その虫にも先ほど言いましたように私達と同じ宇宙の根源的な命が宿っていることには間違いありません。
   殺すという言い方はしませんが、食べ物を食べるということを考えてみましょう。
何らかの形で、相手の命をいただいていることになります。
ですから、その命に対して感謝の念を持っていただくという気持ちになります。残したらもったいないというよりはもう少し深い気持ちでしょうか。
   虫の話ですが、坐禅道場の禅堂にセミやカマキリなどが入ってきたときは、タオルでくるんで外に出します。
   小さい虫や蚊がとまった時は、私はたたいてしまいますね。
   差別しているかもしれません。
答えになっていなくてすいません。
   
Q: アンパンマンの話ですが、答えはアンパンマンのアニメを見れば分かりますか。
A: えっ! あれは、あくまでも自分自身に対して問いかけてみてくださいという話ですから、アニメを見れば答えが出るわけではないと思います。ヒントはあるかもしれませんが・・・。
できれば、ご自身の問題としてとらえてみてくれませんか。
 
 
たまたま、私が答えたのですが、正解ではないものもあるかもしれません。
 この答えは、個人的なものです。
今回で、「禅とは」というテーマで話したことに関するブログは終了です。
 
 禅体験セミナーは、まだ続きます。
 関心がある方は、ご連絡ください。
 
義存 合掌
 
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禅体験セミナー(「禅と茶のつどい」主催)で取り上げた話題についての続きです。
 
釈尊の生涯や禅について少し硬い話となりましたが、
残りの時間でアンパンマンのマーチを取り上げてみたいと思います。
 
 アンパンマンのマーチから抜粋   作詞:やなせたかし
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられないなんて
そんなのは いやだ
 
なにが君の しあわせ
なにをして よろこぶ
わからないまま おわる
そんなのは いやだ
 
幼児向けのアニメの歌とはいえ、あなどることなかれ。
とても深い意味がある歌詞だと思いませんか?
改めて読んで、この問いに
正直に自信を持って答えることができるでしょうか。
これは人生に対する根本的な問いかけだと思います。
 
釈尊が、周りからみれば恵まれた環境にありながら苦悩し、
自分が生きるということは何か。
本当のしあわせとは、よろこびとは何か。
そういった疑問を持って道を求めた、まさにその疑問だと思います。
 
やなせさんの追悼番組を見たときに
今話したことを思いついたのですが、
やなせさんは、自分の戦争体験や飢餓体験などを踏まえて
アンパンマンを描いたようです。
ご自分の若き日の過酷な体験を踏まえて、「生きる」ということと
真正面から向き合っていたのだと思います。
「手のひらを太陽に」の作詞が
やなせさんだということも知り納得しました。
 
この問いに答えるためには、自分自身の内側に向かって
問いを発するしかないと思います。
 
そのためには多分いろいろな道があるし、いろいろな出会いがあると思います。
禅だけがその道ではないと思いますが、
一つの有用な道であるということは、責任を持って言えます。
 
後で考えようなんて思っていると、
 
時は はやく すぎる
光る星は 消える
 
ということになりかねませんので、ご用心、ご用心。
 
もちろんこれもアンパンマンのマーチの歌詞の一部ですよ。
(You Tubeで歌も聴けます)
 
続く
 
義存 合掌
 
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