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房総ブログ - 講話 「なぜ坐禅をするのか?」

講話 「なぜ坐禅をするのか?」

カテゴリ : 
ブログ » 人間禅
執筆 : 
惟然 2017/3/9 23:50
3月5日の日曜座禅会での抱石庵老居士の講話「なぜ坐禅をするのか」の資料を掲載いたします。
日曜座禅会レポート 坐禅を続ける理由(その2)
 
 
【天行は健なり 君子自彊して息まず】と坐禅修行:講和 抱石庵鉄漢老居士

(1)『易経』の「乾為天」
【天行(てんぎょう)は健(けん)なり 君子(くんし)自彊(じきょう)して息(や)まず】
 
天の運行、天命とかは、言われるところの日月星辰の歩みをはじめとする、
大自然の営み、大自 然のいのちのことであります。
この天行は、寸分の狂いもなく営まれ、具体的には日食や月食はまさに予測通りです。
即ち健康そのものである。それを「天行は健なり」と言います。
 
それに対して、大自然のいのちの一部であるはずの私達人間は、
どうしても、健康というわけにはいかない。
 
私達人間が考える葦として、他の動物たちとは違って、一寸油断をすると、
自我を剥き出しにし、我見というものを造り上げ、畢竟病の道を歩む、
そういう特性を持っている。
 
人間の道というものを本来健康であるところの天の営み、
大自然のいのちと不二一如になるように不断の努力をしなければならない、
大自然の営みと不二一如の本然の姿に帰る努力を
繰り返し繰り返ししないことには、人間は病の道を歩むことになる。
 
私達は坐禅の修行によって、この大自然のいのちと不二一如の本然の姿を取り戻すべく、そういう営みをしなければならない、
それを「君子自彊して息まず」と言います。
 
(2)本格の坐禅の修行をすれば、誰でも間違いなく実現できる。        
【天行は健なり 君子自彊して息まず】
『易経』のこの言を、実際に実践して実現出来るのが、坐禅修行。
 
禅は、哲学ではない。信仰でもない。
心を琢磨する修行であり、本物の人間になるための修行である。

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